歴史修正主義者の文革運動が始まったらしい
先日の黒人差別デモで追加のニュースが聞こえてきたので書いておこう。
イギリスで人種差別に抗議続く、奴隷商人の銅像を引きずり下ろし - BBC News ニュース
どうやら過去に奴隷貿易をしたり奴隷を使っていたり先住民を虐殺したりした人の銅像を打ち壊す運動の追い風になっているらしい。
このニュースを見た時に私が思い浮かべたのはタリバンがバーミヤンの仏像を爆破したり、ISIS ("Islamic State of Iraq and Syria”イラクとシリアのイスラム国)の連中が各地の世界遺産を破壊したニュース映像だ。彼等はイスラム教の偶像崇拝禁止を理由に破壊活動を行った。
なぜイスラム過激派は世界遺産を破壊するのか? | Bizコンパス -ITによるビジネス課題解決事例満載!
「イスラム国」が破壊した文化遺産 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
一方で現在のデモ集団は黒人差別反対を理由に銅像を打ち壊している。どこか違いがあるのだろうか?撤去を求めて話し合いをするなら理解も出来るが、暴力的に一方的に破壊するのは歴史を修正して無かった事にしようとする行為そのものだろう。
差別の境界線とコミュニティ
ここ最近黒人の差別問題が急に取りざたされる様になったので、この機会に書きつけて置こう。
黒人男性死亡 全米各地で抗議デモ続く ワシントンでは最大規模 | NHKニュース
今回の事件もアメリカに根深く残ると言われている差別感情によるものなんだろうけど、私が疑問に思ったのはリンカーンの奴隷解放宣言から140年以上も経ったのに何故未だに黒人がマイノリティで差別される存在なのかという事だ。
まずマイノリティの方を考えてみると言葉の意味としてはマイノリティが少数派、マジョリティが多数派で合っていると思う。(マイノリティレポートで始めて知った様に記憶している)
アメリカの人種比率で見るとおよそ12%強が黒人でヒスパニックの17%強より少ない。確かにアメリカでは黒人は少数派であるようだ。
https://www.nhk.or.jp/syakai/10min_tiri/shiryou/pdf/006/shiryou_002.pdf
では何故少数派なのかと考えると、歴史の授業ではアメリカの黒人はアフリカから連行された奴隷の子孫で、その奴隷の多くは南部の農場で働かされていたと習った。つまりヨーロッパからアメリカへの移民が主で、アフリカからは積極的に移民した訳では無いから数が少ないという事になる。
次に何故差別されているのかを考えると先に触れたように、ルーツが奴隷という下層階級であるために白人側も黒人側も反目しあった事だろう。それが現在まで続いている理由も色々と聞こえてくる。黒人が貧困なのは低所得な職にしか雇用されないからだとかそれによって犯罪集団を形成するからますます雇用されなくなるだとか這い上がって金持ちになるのが夢(アメリカンドリーム)になるほどに貧富の差が激しいアメリカの社会構造だとか。
そんな差別大国アメリカ(だけでは無く他の国もだが)で差別を語る時に1番に来るのが人種だが、ここにも疑問を感じる。なぜ白人黒人ヒスパニックと言った大まかな分け方なのか?アジア系として中国韓国日本が一纏めにされてしまうのか?そこにも黒人が奴隷として連れてこられた事が関係している様に思う。
正式な移民では無くアフリカ各地から寄せ集められた集団だった為に黒人と言う共通点でしか纏まれなかったのだろう。アフリカ系アメリカ人と言う呼び方も聞いたことがあるが、イギリス系ドイツ系フランス系なんかと比べると随分と曖昧である。その曖昧な黒人と言う集団に対応した呼び方として白人やヒスパニック、アジア系と言った呼び方がされる様になったのだろう。
結論として何故未だに黒人がマイノリティで差別される存在なのかは、アメリカ成立の経緯による歴史的問題であるから。そしてアメリカ人がアメリカ人としての共通認識を持たない限り今後も続くだろう。つまりアメリカの国内問題であって少なくとも日本にはあまり関係の無い話なのですぐ忘れ去られると予想して終わりしよう。
アイドルと歌手の境界線
YouTubeで90年代のヒットソングなんかを纏めている動画を漁っているうちにこんな動画に行き着いた。
2015年までの邦楽で、グループでの売り上げ枚数をランキングしたものらしい。
懐かしく思いながら見ていくうちに大雑把に分類できそうだと感じた。アイドル(偶像)と歌手(アーティスト)だ。
具体例を挙げていくとアイドルはおニャン子、モーニング娘、AKBやジャニーズなどのアイドルグループ。
一方歌手はと言うと歌っている本人、またはグループのメンバーが作詞作曲をしている人達(いわゆるシンガーソングライター)が当てはまる。
こうして分けて考えてみるとアイドル達はボーカロイドと同じ作られた存在だと分かる。役割は曲と歌詞を提供してもらってステージで歌う事だ。こち亀のアイドル話で言われていた、喜ぶのは作っているおじさん達な点も同じ。
ゆくゆくはバーチャルまたはアンドロイドのアイドルと生身の歌手で音楽シーンは作られていくのだろうなと改めて感じた動画であった。
君子豹変す、小人は面を革む
インターネットの普及がもたらした最大の害悪の1つは、「論破」したければ相手が一貫性を欠いているところを攻撃すればいい、という戦術を普及させてしまったことかなと思ってます。結果、自己の一貫性に病的なまでに執着する人の数を急激に増やしたな、と。
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2017年10月8日
ちらっと読んでこの意見にはちょいと賛成できないなぁと思ってリプライを覗いていたらこのタイトルの言葉を見つけました。意味は賢い人は間違った考えをすぐに改めるが凡人は外面を改めたフリをするだけ、だそうです。
この説明だと少し分かりづらいので、ことわざ辞典に載ってた英語の類義語も紹介します。
A wise man changes his mind, a fool never.(賢者は考えを変えるが、愚者は決して変えない) |
どちらも思考の柔軟性を良しとして、凝り固まった考えを改めるように啓発したことわざですね。
さて冒頭のツイートに話を戻すとツイ主が害悪だとしているのは『自己の一貫性に病的なまでに執着する人』なわけでここだけ見ると、ことわざとは食い違っていない様に思えます。しかしその前文の『相手が一貫性を欠いている所をを攻撃する戦術を広めた事』まで含めると違ってきます。
ここで考えるポイントは一貫性と考えの正誤にはなんの関係も無いと言う点です。一貫した考えだから正しいのではなく、正しい考えが一貫性を持つだけです。そしてその正しい考えも時間の流れや周辺の状況によって変わってしまう事もよくあります。例えば奴隷制なんかは有史以来非常に長い期間色々な形で存在しましたが、現代では法的に規制されていますね。
つまり議論の相手を一貫性が無いと非難したとしても、相手が考えを改めるに足る理由を提示すればダメージにはならないのです。一貫性の矛盾を突く手法はこの考えを改めた理由を引き出す為のジャブみたいなものなのでなんら非難されるものではありません。逆に一貫性の矛盾を指摘されてもその理由を提示できない相手は大した考えもなく意見を変えているという事になります。もしくはその理由自体が公表できない質の物なのでしょう。
一貫性という性質は正しい考えを得る事は出来ませんが間違った考えを見破る事は出来ます。インターネットを始め、技術や道具はちゃんと使いこなしてこそ真の価値が発揮されます。日々の生活でも出来るだけ価値を有効に発揮させたいですね。
異世界ものラノベではずれを引いた話
異世界ものと一口に言うけれども古いものだとダンバインとかエスカフローネ
なんかが思い浮かぶ私です。最近の異世界ものは大体”小説家になろう”サイトの
連載から始まり単行本、コミックスを経てアニメ化したりしてますね。
そんな”なろう系”ラノベをkindleで探してiPhoneで寝っ転がりながら読んだり
している訳ですが、ここに来て初めて「あー買って失敗したな」と思った
作品を引いたのでつらつらと書いていきます。
その作品はこちら『異世界薬局』
kindleのラノベでお勧め商品を眺めていて表紙で引かれて、レビューもそれなりに
評価が高かったので買って2巻まで読み進めて見ましたが続きを読むのを断念しました。
あらすじは日本のT大学大学院の助教授で世界の最先端の薬学研究を進める31歳独身
男性が連日連夜の徹夜and泊まり込みで、あえなく過労死して目が覚めたら異世界の
少年に転生したと言うもの。この主人公は世界のあらゆる病魔を駆逐したいという、
本間丈太郎先生の言葉を借りるなら”おこがましい”考えを持って研究していました。
その根底にあるものは幼い頃に脳腫瘍によって亡くなった妹のような患者を無くしたい
という思いであるとかなんとか、そんな設定の主人公であります。
さてそんな異世界薬局ですが私が読むのを断念した理由は、”なろう系”ではよくあると言われながら今まで読んだ作品ではそれほど感じなかった不自然なまでの都合の良さと主要キャラクター達以外の能力の低さ、さらに主人公の人格設定破綻でした。
主人公は一応の制限はあるものの、異世界で最強とされる人物をはるかに上回るまさしく神の力を持っています。そして神の力を持つ特徴としてなのか分かりませんが影が出来ない体質になっています。しかしその事に気づいたのはヒロインの一人である家庭教師と旅行先でたまたま見られた孤児院の子供だけです。また主人公は10歳の少年に転生した訳ですが、その少年の記憶はなんとなく体が覚えている程度でほぼ失われており
家族も以前とは別人の様だと思いつつも、(転生の際に)雷に撃たれたのだからそういう事もあるだろうと特に問題視しません。
この程度ならば物語の設定としてならば許容範囲だと思っていましたが読み進めていく内にいよいよ限界を迎えます。主人公は前世でも世界の病魔を駆逐するべく研究しており、この世界でも病気に苦しむ人々を救おうと決心したような描写がありますが、実際にやったことと言えば自ら経営する小さな薬局を開くだけ。その薬局を開くにあたり女帝の不治の病を治して命の恩人扱いされていますが褒美はいらないなんて事を言って
女帝の部下が無理やり望みを聞き出そうとした時にぽろっと薬局をやりたいなんて事を漏らしており、それを汲んだ女帝が作らせるのですが流されるまま薬局の店主に収まってしまいます。
このあたりが私が主人公の人格設定破綻だと思う部分で、前世では研究ばかりで実際の患者に向き合えなかったんじゃないかと思っている描写があるので一見すれば街の薬局なら患者一人一人と直に触れ合えるからいい様に思えますが、本当に世界の病魔を駆逐したいと考えているなら前世と同じように新薬の研究開発や製造販売をする体制を整えるべきです。街の1薬局で出来る事は限られており世界を変えようと思うなら国を巻き込んだ大きな流れを作らなければならないという事は大学の助教授であった主人公なら当然に思い至るはずなのですが、それっぽい動きはほんの少しずつしか進めていません。せっかく女帝の命の恩人という地位を得て権力と財力をかなりの自由度で振るえるのにやっている事は街の薬局。本当に世界を変える意思があるんでしょうか?
結局の所、主人公は目に見える感謝が欲しくて街の薬局をやっているのでしょう。
患者に向き合うだの耳障りの良い言葉で繕っても感謝と尊敬が欲しかったんだという事がこの薬局経営によりわかってしまいます。それ自体は悪い事ではなくむしろ健全な一般市民の感覚です。ですが主人公は世界の病魔を駆逐したいと願って研究していたはずなのに、それが出来る状況にあるのにごく普通の日常を送っています。
この理想と現実の乖離を思い悩んだりしてれば話も深まろうかと思いますがそんな事はなく、順調に薬局経営を進めて2号店や系列店も作っています。世界の病気に苦しむ人々はどうなっているんでしょうかね?
と言うような諸々の矛盾に嫌気が差したのでこの『異世界薬局』は2巻の途中までで
終了と致します。次はもう少ししっかりとレビューを読み込んではずれを引かない様にしたいですね。
タバコは変わった。
そんな訳でアイコスを購入しました。
オリンピックやらWHOやらで屋内完全禁煙だ分煙だと、今後一層肩身の狭い思いをするだろう喫煙者の打開策として登場した電子タバコの第三世代機。マルボロのフィリップモリスが開発・販売している。JT(日本たばこ産業)はプルームテック、ケントのBAT(ブリティッシュアメリカンタバコ)はグローを日本で販売している。
2016年にアイコス芸人から人気が広がって入手困難だったが3月の新型発表の影響で旧型はコンビニにも出回るようになった感じ。頼んだ時は半年待ちもあると言われたが1月で手元に来たぞ。
紙巻タバコと比べると充電の手間はあるが、煙が出ない・灰も出ない・有害物質大幅除去とかなりスペックが上がっている印象。屋内禁煙の場所でも電子タバコならOKと言う論調もあるそうな。まあ手間とは言っても紙巻き以外のタバコなら葉巻はカットしないとだし、パイプやキセルは葉っぱを詰めたりマッチを使わないといけないし、水タバコなんて専用の場所がなければ無理な事を考えると十分実用的だと思う。
実際の所WHOや国がなぜタバコを問題視してるかと言うと健康被害による保険費用を減らしたいと言う思惑な訳ですな。でもタバコの消費量が減るとタバコを作ってる農家とか販売会社、もっと言うと国も税収が減ってしまって困るので健康被害の少ないタバコを作ろうとして出来たのが電子タバコ。紙巻きタバコの有害度を100とすると電子タバコは4らしい。
今後は紙巻きからどんどん電子タバコに切り替わる流れになると思うので、喫煙者諸兄はこのビックウェーブに乗り遅れない様にしよう!
多様性は文化の盗用なのか?
いつもの様に2chのニュース板を巡回しているとこんな記事でスレッドが立っていた。
記事によると白人が他文化を真似して作品を作る行為は「文化の盗用(Cultural appropriation)」であり「ホワイトウォッシング(Whitewashing)」と呼ばれるらしい。
一方でこんな記事があった事を思い出した。
作者は原作では肌の色の指定は無いと言っているが、大ヒットした映画ではハーマイオニーは白人の女の子であった。その役を黒人が演じる事は「ブラックダーティング(Blackdirtying)」とでも呼ぶつもりだろうか。
この二つのニュースからもわかる通り欧米では差別被差別意識が日本では考えられないほど強く存在している。他文化に好意をもって尊敬対象として模倣しても小馬鹿にした猿真似と同じであると見なされる。
こういった文化の改変を評価するにあたって個人的に一つの指標を教えられた話がこちら。
寿司がアメリカでカリフォルニアロールになろうとも美味ければ一つの料理。
三国志や戦国時代の武将が美少女キャラになろうとも面白ければ売れるのだ。
差別だ原作レイプだと騒ぐより変わった事による恩恵に注目していけば多少はましな世の中になるのではなかろうか。