美容格差がなぜ起きるのか

いつもの様にYouTubeを眺めていると、この切り抜きのコメント欄でチー牛が発狂していると煽るコミュニティが流れてきた。


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内容を軽く説明すると男性は眉を整えない人が結構いるから整えた方が良いよと言うVTuverに対して、一部リスナーが顔出しせずにVTuverやってる人に言われたく無い等と中傷、これに対してファンがこれだからチー牛はモテないし友達もいないなどとさらに煽り返している模様。

 

 

この一連の流れを見て気になったのがコメント欄にちらほらと、何故眉を整える程度の身嗜みのアドバイスで反発するのか理解出来ないと言っている人がいる事だ。なのでそこの意識や価値観の違いを主観で分析してみる。主観なのでデータは無いし根拠も自分の知見だけなのであしからず。

まず話の大元である美容と何か?容姿とは何なのかを考えてみる。美容と言って思い浮かべるのは話に出た眉を整えるだったり髪を切ったり肌の保湿をしたり脱毛をしたり、さらに進むと化粧からファッションからダイエットにライフスタイルまで連想することが出来る。それらを行う理由は一言で言うとモテたいからになるだろうか。人からの印象を良くして仲良くなりたいと言い換えても良いかもしれない。

つまり他人から見て美しいと感じたり清潔感があるなと感じて貰うのが主な目的だ。ここで大事なのが他人がどう感じるのか押しはかる能力、いわゆる空気を読むとかファッションに敏感かどうかだ。人からモテたいと思っていても半世紀前の流行りのファッションではなかなか難しいだろう。

 

では次に何故チー牛と呼ばれる様なオタク達が反発しているのかを考えてみたい。これも一言で言えばモテたく無いになってしまうだろう。人からの印象を良くしたり清潔感を持って貰う事に価値を見い出していないのだ。また別の理由としてはそれらがモテると思っていない事がある。ボサボサの眉だったりモジャモジャの髪や伸び切ったヒゲとか毛深い身体がカッコいいと思っているのだ。

まずモテると思っていない理由について考えてみる。これは単純に好みの問題と言い換えていいだろう。外国ではヒゲが生えていたり眉毛が濃かったり肌が焼けていたり、はたまた太っていた方がモテると言う話もよく聞くだろう。また時代によってもモテる基準は変わる。明治時代以前の江戸時代は頭頂部を剃ってマゲを結うのが身嗜みでありマゲを結っていないのは子供か変人だけだ。

問題はモテたく無いと思っている人達だ。その理由も個々人で様々だしその段階にも違いがある。異性が嫌い、好きでは無い、同性が好き、過去にモテたせいで酷い目にあった、そもそも他人が嫌い、人を好きになる気持ちが理解出来ない、愛情も理解出来ない、人の気持ちも理解出来ない、とここら辺までくると精神を病んでいると判定されるレベルになる。

これらのコミニュケーションの仕方が違う人や美の価値観が違う人に対して一般的なアドバイスをすると今回の様な反発が起こるのだ。自分が好きでは無かったりどうでもいいと思っている事を正しいと言われるとあたかも自分が間違っていると言われている様に感じてしまうのだ。アドバイスをしている方はあくまで善意から言っているのが余計に鼻持ちならないと感じるのだろう。愚かなブサイク共にごく一般的な常識を優しく教えてやろう、とこの様に言っていると感じてしまうのだ。何故なら価値観が違うから、人の気持ちが理解出来ないからだ。

今回の件から学ぶ事は自らの意見を表明する時はあくまで個人の意見であり他者を傷つける意図は無く、また違う意見も尊重しているとハッキリと事前に言っておく事だ。これが多様性を認める事だと思う。