ゲームになった世界史及び日本史

『ニーア オートマタ』(NieR:Automata)で有名なヨコオタロウさんのこのツイートからゲームのリメイクや作品のモチーフに関して色々考えが広がったのでまとめとして書き留めておく。

 

ツイート内容は往年の名作シューティングが難しいと言う質問箱の感想に対して『シューティングは難しくなったから間口が狭くなったと言われているが難易度が高くても売れている作品はあるから、その違いはどこが作ったかと言うネームバリューなんだろうか?』といった感じのもの。

個人的にはシューティング、なかでも2Dスクロールシューターと分類される物はやはり古臭さを感じてしまい取っ付きにくくなる。インベーダーやゼビウスの頃から変わっていないと言う印象を受けてしまうが実際にはプレイしていないので分からない。分からないが弾幕ゲーと聞いて『あぁそういう感じのゲームね』とその時点でやるかやらないかが決まってしまう。これがいわゆるネームバリューの内でもジャンル分けと言われるもので、やはり知っているか知らないかは重要な購買動機になると感じる。

では知っているゲームと知らないゲームではどちらが売れるのだろうか?個人的な好みもあるだろうが結論から言うと知っているけど知らないゲーム、もしくは知らないけど知っているゲームが売れると思った。

ゲームを構成する要素として脚本、監督、デザイン、音楽、ジャンル、UI、はたまた開発元や販売元もネームバリューに含まれるだろう。それらの内で知っていると安心するもの、あるいは不安になるもの。知らないとワクワクするもの、あるいは興味がわかないもの。色々と分けられると思う。その中でも重要な物として脚本、つまりストーリーについて考えてみた。

ストーリーに関して、知っている物と知らない物ではどちらが売れるのだろうか?これも個人的な感覚になるが知っている物、つまり広く知られている有名なストーリーの方が売れると思う。有名なストーリーというのは売れた作品であり受け入れられた下地があるから脚本としての面白さがある程度保証されているとも言える。逆に知らない物、全く新規のストーリーの作品はかなり冒険になると感じる。システムや音楽が良くてもメインストーリーがつまらなくては売れないだろう。

こういった考えから過去の名作のリメイクが作られるのだろうがそもそもゲームの主題として過去の歴史作品や娯楽小説、英雄譚や神話などをゲーム化すると言うのもある。日本神話やギリシャ神話、三国志や戦国時代もの、第二次世界大戦もよく主題になっている。歴史として今も残っていると言う事はその話が受け入れられたから、つまり売れたからだ。ギルガメッシュ叙事詩は大ヒットして複製が大量に作られたから遺跡に粘土板が残っていたのだ。

その流れの中でまだ取り上げられていないストーリー、歴史として知られているけどゲームとして知られていないストーリーのゲームを作れば売れるのではないだろうか。個人的に知らないだけかも知れないがまだゲーム化していない歴史物。世界史で言うとアレクサンドロス大王時代の『ヒストリエ』か始皇帝時代の『キングダム』なんかが思い浮かぶ。日本史で言うと古代の卑弥呼とか飛鳥時代聖徳太子、もっと下って明治維新西郷隆盛なんかはまだゲーム化していないのではないだろうかと考えた所でこれを書き始めたのでこの辺りで終わりとする。続きがあるとしたら先に挙げた物がゲーム化されたらだろうか?期待して待っていよう。