盛者必衰の理を表す

ドラクエ10の衰退がもう本当に隠せない所まで来てしまった。残りの手はもういくつもない。その残り少なくなったチャンスをモノにしなければ10年の予定は半分も達成出来ずに終わるでしょう。

東京ゲームショウと言う世界にも名の知られたゲーム見本市でドラクエ10はまあ醜態を晒したと言っていいでしょう。

身内受けのバトルチャレンジ、スカスカの新情報、ショボいプレゼントと出るわ出るわ。これが国内ネットゲーム同時接続数1位と自慢していた人達が作るものかと悲しくなってしまった。

結果には原因がある訳でそこを直さなければ結果も変えられない。この衰退の原因、ユーザーの望むコンテンツを遅滞なく提供出来ない状況。何故か。はっきりしとりますわな。割と初期から懸念されてはいましたが声のデカさで負けていると言う理由で目を逸らされていた問題。

あのwiiとか言う何年前に発売されたかも忘れたすでに製造も中止された産業廃棄物を後生大事に抱えとるからですね。

ドラゴンクエストのブランドに慢心しwii開発という環境を変えられなかったその結果がこれ。

ただ春の夜の夢のごとしとなるか。見守っていきましょう。

身体の争いと心の争い

メルケルが「EUは危機的な状況にある」とか言い出したらしい。戦争も近くなってきたので前の記事の続きみたいなるけど書いておく。

歴史的に見ても今現在各地で起きてる争いを見ても原因となるのは経済。景気が悪い状態から引き起こされる身体の争いだ。冒頭のEUから遡ってみても私の浅はかな知識でもアラビアのロレンスぐらいまではいける。本国の景気が悪いのを他の場所で辻褄合わせしようと歪ませたツケが巡り廻って帰ってきている状況だ。

では心の争いとは何だろうか?何の得も無いのに相手も自分も傷ついて損をするだけなのに争わなければならない理由とは何だろうか。

ここで前回のガンダム話と繋がる。経済的理由ではなく個人的な拘りで引き起こされた争いはどれかと考えたらハマーンとシャアの第一次第二次ネオ・ジオン抗争がそれだと思う。核融合炉のおかげで太陽の光が遥か彼方にしか見えないアステロイドベルトでもジオンの残党は生活が出来た訳だ。それどころか力を蓄えて地球圏に大軍を持って進行出来るほどの余力すらある。経済圏としては地球圏と辺境宙域で別れていてお互い交易もほとんど行っていないはずだ。それなのに争いは起きたとされる。

その理由はざっくり言ってしまうとシャアに捨てられたハマーンが地球圏に戻ったシャアを追っかけて来たのが第一次、シャアがMSの戦闘でアムロと決着を付けたかったから来たのが第二次となる。

本人達はそれにいろいろと別の理由をくっつけてはいるけどそこの拘りが無かったら、ハマーンが他の男と結婚して子供が出来ていたら、シャアかアムロが負傷や病気で万全の状態では無かったら2つの争いは起きなかったのでは無いかと思う。心の争いは巻き込まれた人達にはどう映るのだろうか。

お腹空いたのでここまで。

太陽

宇宙はいろいろヤバイので分かりやすい所で我らの太陽について考えると人間についても理解が深まると思う。

人間の経済活動は太陽を創る事で区切りを迎えるんじゃないかと思う。世界のあれやこれやの問題の解決を目指していくと行き着く先は身体を満たして次に心を満たせれば死を迎えられる。その身体を満たす部分は太陽によって賄われるわけだ。

では太陽、核融合が実現しているとされる世界ではどんな問題が残っているのか。参考になる作品を探すとまず思いつくのはガンダムが出てくる。あの世界では初期のコロニーはソーラーパネルを使ってるから造れる場所も限られてる感じだった。MS用の小型核融合炉が作られてからは生活圏をどんどん広げていっている。そうやって経済活動を太陽に依存しなくなっても争いは絶えなかった。

スペースノイドアースノイドニュータイプとオールドタイプ、コーディネーターとナチュラル。いろいろ理由をつけては殺しあっている。みんなが太陽を持てるにも関わらずお互いが理解出来ないと言って殺し合う。これは心の問題だろう。

振り返って現代を見ても日本は地球上でも相当に恵まれている環境だ。しかし人々は格差を訴え自殺者は増加し人口も減らしてしまっている。心を満たす何かを見つける事が必要だ。

現代に戻ってきたのでここまで。

右脳ゲーム

星ドラでぼーっとお任せ検索で都道府県未クリアを探しながらこんな言葉を思いついた。現代の万人に受けるゲームと言うのは右脳だけでプレイ出来るように作られているのだろう。RPGFPSもソシャゲもどれもチュートリアルやユーザーインターフェイスが単純かつ直感的にゲームプレイが出来るようにしてくれている。

一部にはそうでは無いゲームも存在する。複雑なルール、使いにくいインターフェイス、難解な用語、鬼畜な難易度。とかく一般にはクソゲー扱いされるセールスを記録するスルメゲー、マニアゲーは総じて左脳を使わなければまともなプレイ自体が困難である。

こうした左脳ゲームではプレイヤーの差と言うのは付きにくい。そもそもプレイ出来ている時点である程度のレベルには達しているわけだ。一方右脳ゲームは本当に同じゲームをプレイしているのかと疑いたくなるような差が発生する。この差と言うのはもちろん右脳自体の処理能力の差もあるだろうが大部分は左脳を使っているかいないかの差だと思う。

「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの 」と言われていた時代から30年ほどたってゲームでも生活が出来るようになってきた。その大きな要因として右脳だけでプレイ出来るゲームが開発されプレイヤー間に大きな差が生まれた事があるように感じた初秋であった。

小森のおばちゃま

こどちゃのあのおばちゃまと母親とが被って嫌になる。見栄や体裁ばっかで自分自身や言われた方の事なんて考えない言葉を投げかけてくる。もう何回罵倒したい言葉を噛み殺してきたか覚えてないよ。その度に左脳が死んで右脳の感情ばかり強くなる。

以前はこういった気持ちをどこにも出さずに自分の中だけで処理してきたけど今後はここに吐き出していこうと思います。

魂の価値

攻殻機動隊の話です。士郎正宗原作、押井守監督のGHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊が有名やね。シリーズも多くて今度、北野武も出演してハリウッド映画にもなるらしい。

このSFバリバリの作品にも色々考えさせられました。設定は脳にマイクロマシンを注入する事によって電子的に脳内に出入りが可能となる電脳技術とそれよっていわゆるサイボーグの義体、完全義体が普及している時代。生まれた時から完全義体になっていた草薙素子が対テロ組織公安9課を創設してさまざまなサイバーテロを解決しつつ魂と人間について模索していく話。

作中で素子はたびたびゴースト(魂)という言葉を使います。ゴーストが有るか無いかが人間とロボットの違いであり、ゴーストを失った、または書き換えられた人を人形と素子は表現しています。電脳技術によってウイルスを使った洗脳、擬似記憶の植え付けにより本人の知らぬ間にテロリストにされた人達も出てきます。

こうした事件を通じて肉の体を持った記憶の無い素子は自分がゴーストだと思っている物も誰かの書いたプログラムなのでは無いかと常に疑っています。

そして大きな転機となる人形使い事件より以後は自らの因子をネットにばら撒きクローンも作ったりしています。知性の子として生まれた素子が生物としての繁殖活動をクローン作りとして獲得してじゃあその魂はどこに向かうのか?といった所で話は終わっています。

結構前提の知識を入れとかないと映画いきなり見てもワケワカメになるからそこは注意が必要。スロットのとか分かって打ってる奴おらんかったんじゃないか?

今回はこの辺にしてまた新作公開されたらなんか書きたいな。

 

ブログいじり

アカウント画像をアップしたりカテゴリー作ってみたり基本なんだろうけど今までやって来なかった事が多くて時間かかる。

ブログスタイル編集はPCから、記事投稿はスマホからになりそう。

HTMLの記述だとかすこーし弄っただけでめちゃくちゃになりそう。まずコマンドがわからんがね。