イタリア料理とフェミニスト

ここ数日ツイッター界隈で、男性のみの入店を禁止にしたイタリア料理店が炎上話題になりましたね。一部のフェミニストの方々は男性差別だと大騒ぎしていましたが何故そんな考えになるのか私の所感を書いておきます。

 彼らは政治と経済を同じ次元の物として考えているのでしょう。私の表現で書くと心と肉体でしょうか。男女差別という本来なら政治議題である心の問題を、飲食店のサービスという経済行為にそのまま当てはめようとするから無理が出てくるのです。

戦術は戦略に、戦略は政治に、政治は経済に依存する言う表現もあります。ここで言う依存とは自由度を担保する枷の意味です。それぞれ依存する物の許す範囲でしか自由にならないやり切れなさが表されていますね。

ここでイタリア料理店に戻りましょう。女性はOK、男性はNG、これだけ見れば男女差別だと言いたくなるでしょう。しかしその理由が店主の個人的心情に依るものでは無く、店舗の経営判断であれば許されます。そこの見極めをしない段階で騒ぎ立てるのはまさに小人閑居して不善をなすを体現してしまう事になります。

心の中で思う事は誰にも縛られず自由ですが、言葉にしてあまつさえインターネットに書き込んでしまったら今後は常にその言葉に縛られる事になります。雄弁は銀、沈黙は金とも言います。ツイッターでつぶやく時もよく考えてから投稿しましょう。